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zoom RSS 2017年6月10日 エフェソ1章3〜14節

<<   作成日時 : 2017/06/11 12:58   >>

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3 わたしたちの主イエス・キリストの父である神は、ほめたたえられますように。神は、わたしたちをキリストにおいて、天のあらゆる霊的な祝福で満たしてくださいました。

 私たちは、天のあらゆる霊的な祝福で満たされています。私たちの人生の根本的なことは、霊的な祝福にあるということが言われています。それは、聖書全体のメッセージでもあります。なぜなら、聖書において、この世で、どれほど偉大であったかということで、国々の痛いな王や学者や富者を比較したりすることはないからです。ただ聖書の神との関係において語られる人物が、この世でどのような地位や富を得ていたかが語られたりしますが、それ以外の違う国のことについては語られていないからです。

4 天地創造の前に、神はわたしたちを愛して、御自分の前で聖なる者、汚れのない者にしようと、キリストにおいてお選びになりました。

 イエス・キリストを信じることは、天地創造の前から神が私たちを愛して選んでくださったことを意味しています。イエス・キリストは天に昇られて、神の右に座しておられると私たちは告白します。弟子たちは、イエス・キリストが天に昇られるのを目撃したこと、そして、何よりも、イエス様ご自身が、「父のもとに行く」と、おっしゃったことにその根拠はあります。イエス様が神様のもとにいらっしゃるということは、私たちから遠く離れた所へ行かれたとばかり思いがちですが、実はそうではありません。神の御許というのは、私たちの手の届かない彼方ですが、イエス様にとっては、私たちのそばに、イエス様の力が、私たちに直接及ぶようになったということです。つまり全能なる神の右におられるということは、神と同じように全能であるということであり、神様の力が私たちに今も及んでいるように、神様によって私たちが生かされているように、私たちはイエス様の力の内にあり、イエス様によって生かされているということです。

5 イエス・キリストによって神の子にしようと、御心のままに前もってお定めになったのです。

 イエス・キリストが、神の御子としてこの世に生きてくださったように、わたしたちもまた神の子です。それは私たちが何か神の子にふさわしいことをしたとか、超能力があるとかいうことではなくて、イエス様ご自身が弟子たちに語った言葉にその根拠があります。そして、その御計画は、神様の御計画ですから、永遠の計画です。永遠の計画ですから、時間を超えており、天地創造の前から、前もって定められていた御計画なのです。

6 神がその愛する御子によって与えてくださった輝かしい恵みを、わたしたちがたたえるためです。

 神の恵みを讃えること、御子を通して神が与えてくださった恵みを讃えること、ここに私たちは心を向けなければなりません。人からほめたたえられることを私たちが求めるならば、この輝かしい恵みを讃えることはできません。人からけなされて、腹が立つならば、私たちは神の恵みの輝かしさを知らない証拠です。私たちは神が愛する御子によって与えてくださった輝かしい恵みを讃えているでしょうか?

7 わたしたちはこの御子において、その血によって贖われ、罪を赦されました。これは、神の豊かな恵みによるものです。

 私たちは、御子において、その血によって贖われ、罪を赦されています。それは、罪のない完全な善なる人間であるということではありません。罪を赦されているから、罪を犯さないように守られているのが私たちです。ですから、自分が少々善人だからと言って、人前で誇ることはできません。罪を犯さないように守られているから、神に感謝すればいいと考えたりしますが、その感謝は、本当に罪を犯してしまった人々と自分を見比べて、「こんな風にならなくてよかった」というように感謝するのではありません。その隣にいる本当に罪を犯してしまった人々と連帯し、助けの手を差し伸べることが、神への感謝です。
 そして、何よりも、罪を告白することを私たちはできるようになります。大いなる神の赦しの恵みの中で、私たちは、心の底から自らの罪を告白する事が出来るのです。それが、イエス・キリストの血によって贖われ、罪赦された私たちの赤裸々な姿です。
なぜならば、私のようなこのように愚かでみじめな者のために、神はその御子を犠牲にされたからです。私たちは愛する者を失ったら悲しみ泣くでしょう。親や兄弟や配偶者や子供などを失ったら嘆き悲しみ、その愛する人々の死の原因が自分にあったら一生悔やむでしょう。神は、私たちの親兄弟、配偶者よりも深い愛で私たちを愛して下さっている方です。神の御子の愛は、人間の親兄弟や夫婦の愛などとは比べ物にならない大きな強いものです。そのように大きな愛で私たちを愛し、私たちに親や兄弟、配偶者や子供よりも大切な方の命が犠牲になったということは、ものすごいことです。それが、私たちの罪のゆえに起こったのですから、私たちは自分がなしてしまった過ちの大きさを知るべきなのです。ですから、私たちは御子の命を犠牲にしなければならなかった私たちの罪の深さ、大きさを知ることは、神への感謝に他ならないのです。

罪が赦されているから、私たちは罪を告白する必要がないのではありません。私たちの罪の告白は、何が赦されたのかという罪の確認であり、また赦されているから罪を告白することができるのであり、赦しの現実を生きるということが罪を告白するということなのです。

8 神はこの恵みをわたしたちの上にあふれさせ、すべての知恵と理解とを与えて、 9 秘められた計画をわたしたちに知らせてくださいました。これは、前もってキリストにおいてお決めになった神の御心によるものです。

10 こうして、時が満ちるに及んで、救いの業が完成され、あらゆるものが、頭であるキリストのもとに一つにまとめられます。天にあるものも地にあるものもキリストのもとに一つにまとめられるのです。

 十字架につけられて殺され、三日目によみがえった一人の方に起こった神の福音は、神様のご計画の内にあります。つまり、それは、いつか忘れられてなくなってしまうのではなく、たった一人から始まって、それを目撃した300人ほどの弟子たちが、その救いに与り、神のご計画通りに広がってゆくということです。そして、私たちは、その福音が確かに広がってきているという歴史の事実の中に生かされています。

11 キリストにおいてわたしたちは、御心のままにすべてのことを行われる方の御計画によって前もって定められ、約束されたものの相続者とされました。 12 それは、以前からキリストに希望を置いていたわたしたちが、神の栄光をたたえるためです。

 そして私たちはこの神様の救いの御業のご計画に無関係なのではなく、私たちはこの救いに与る当事者です。そして、当事者として神様のご計画に参与させていただいています。

13 あなたがたもまた、キリストにおいて、真理の言葉、救いをもたらす福音を聞き、そして信じて、約束された聖霊で証印を押されたのです。 14 この聖霊は、わたしたちが御国を受け継ぐための保証であり、こうして、わたしたちは贖われて神のものとなり、神の栄光をたたえることになるのです。

 私たちは神の栄光をたたえます。主イエス・キリストに従います。それは真理です。
私たちは真理に従うのです。
2017年6月10日(土)の朝日新聞の声の欄に次のような投稿がありました。
(引用始まり)
「『教育勅語』の切り売りは無意味」無職 花輪紅一郎(東京都 67)
「殺すな」「盗むな」「うそをつくな」「淫行するな」の四つは、仏教の五戒と旧約聖書の十戒に共通する徳目であり、万古不易(ばんこふえき)の人の道の基本と言っていい。
 近頃、「教育勅語」には時代を超え、世界に通用する道徳があると持ち上げる人たちがいるが、この四つが含まれていないことをご存じだろうか。逆に、勅語の一丁目一番地である冒頭の「君への忠」をなぜ無視するのだろうか。
 教育勅語は「君への忠」から始まり、「皇運扶翼」まで一貫した徳の体系の中に他の徳目を組み込んむ構造になっている。「兄弟仲良く」したり「学を修め」たりするのは何のためか、究極の目的を抜きに個々の徳を切り売りしても意味はない。勅語の核心は、すべては君のために命をなげうつ忠誠心を持った人になることだ。そこに「殺すな」や「盗むな」は入り込む余地はなかったのだ。
 もし人命尊重や略奪禁止を掲げていたら、侵略戦争や日本兵の残虐行為はなかっただろう。人の道の基本を抜きに、天皇への忠誠心のみを求めた勅語の過ちは戦後反省したはずだ。私は高校で倫理を教えていた。道徳に「殺すな」「うそをつくな」は欠かせない。(引用終わり)

私たちは人に従いやすいですが、私たちは神に従わなければなりません。神に従うところに人間の尊厳があり、人間の自由があるのです。
 神が天と地とを創造されたということ、天地の創造される前から神はあり、キリストも天地の創造される前からあるということは、神の律法は、人間が人間として生きる根本であって、人間が創造される前から、「殺すな」「盗むな」「うそをつくな」「淫行するな」などの律法はあるということであり、人間は、これを守る者として創造されたということです。

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