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zoom RSS 詩編133篇 聖書を学ぶ会 2017年7月6日

<<   作成日時 : 2017/07/06 13:25   >>

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1 【都に上る歌。ダビデの詩。】見よ、兄弟が共に座っている。なんという恵み、なんという喜び。 2 かぐわしい油が頭に注がれ、ひげに滴り/衣の襟に垂れるアロンのひげに滴り 3 ヘルモンにおく露のように/シオンの山々に滴り落ちる。シオンで、主は布告された/祝福と、とこしえの命を。

1 【都に上る歌。ダビデの詩。】
過ぎ越しの祭りなどの大きな祭りの際には、国民のすべてがエルサレム神殿へ集まることが、かつてのイスラエルの国では定められていました。イエス様も、父母であるマリヤとヨセフと共にエルサレム神殿に行ったことがルカ福音書などに伝えられています。その際、自分たちの町から、団体でエルサレムへ来ていたことが記されています。おそらく、それぞれに村から、団体で、今年は、どこの家族がエルサレム神殿の過ぎ越しの祭りに行く、誰が留守番をするかなどが決められていたと考えられます。都に上る歌は、他にもあり、120篇から134篇にまとめられています。どれもそれほど長いものではありません。おそらく、エルサレムへ行く旅の途上で、みんなで歌われたものであろうと考えられています。おそらくではなく、実際に今もそのような使われ方をしているでありましょう。
 そのような背景を思いますと、これがダビデの詩であるというのは時代的に少し違うのではないかと考えられます。つまり、エルサレム神殿が建てられるのは、ダビデの死後ソロモンの時代になってからだからです。しかし、ダビデの時代にエルサレムが都として定められ、そして、神の契約の箱がダビデによって、エルサレムへ運ばれましたので、神の箱が収められた幕屋に集まるということが行われていたのでありましょう。

見よ、兄弟が共に座っている。なんという恵み、なんという喜び。
 一見、私たちにとって、それは当たり前であるかのように思われますが、「兄弟がともに座っている」ということは、本当に平和で幸福なことなのだということは、事実です。
聖書において、兄弟は、争いの源であるように記されています。最初の人間、アダムとエファの子供であるアベルとカインは、神への捧げものをめぐって、妬みが生じ、カインは、アベルを殺してしまいます。その原因は、神様が、アベルの捧げものを良しとされて、カインの捧げものを顧みなかったということにあります。カインは、それを不服として、アベルを殺してしまいます。このような現象はよく起こります。試験や競技で、ライバルが病気になったらいいなぁとかプレイを邪魔するというようなことは、テレビドラマなどにも取り上げられ、それが放送することができるほど、一般の理解を得ているということです。カインは神様に、「なぜ私の捧げものは顧みられないのですか?」と、聞くこともありません。「あいつがいなければ」という考えにすぐに頭が占領されてしまったのです。
 会社や教会や人間の集団においては、常にこのようなことが、起こります。
たとえば、会社などの中で、自分が大切にして関わってきた顧客がいる。その顧客は自分の担当地域なので、自分の責任として誠実に関わってきて信頼を獲得してきた。その顧客は、自分を信頼してくれているおかげで、会社との取引額が最初は小さかったけれど、今では会社の取引の顧客の中で指折りの重要な顧客になってきた。すると、課長や部長が出てきて、その顧客との取引を取り上げてしまう。本来、上役は、そうやって頑張っている社員を励ますべきであるのに、頑張っている社員を追い出そうとする。これと類似の現象はどこにでも発生しています。ママ友の中にも起こっていることではないでしょうか。そして、そのような、グループの中で「あの人は、権力志向だ…」というような陰口を言われる人というのは、みんなそう思っているのです。嫁姑の関係にも同様の力学が働いています。
 それは私たちのアイデンティティーが、他人と自分を見比べて、私の方が優っているという価値観に置かれていることに原因があるとカインとアベルの出来事は教えています。この他人と自分との比較による自己価値の決定が行われているところでは、どこでも必然的に先のような、悪い上役、悪い姑、悪いリーダーが生み出されます。
 この文脈において、「絶えず祈りなさい。いつも喜んでいなさい」というエフェソの信徒への手紙の意味が重要なものとなります。すべてを神に委ねて、感謝するということがこの他者と自己の比較からの解放なのです。敵は、「あいつさえいなければ…」と誰もが思うあの悪い上役ではなくて、私の思考の中にあるということです。
 むしろ、そのような誰もがよく言わない「上役のような人」の存在を私たちは神に感謝すべきでありましょう。なぜならば、それによって、私たちは自分の心の中にある根本的なアイデンティティーの問題に気が付くことができるからです。そして、何よりも、私たちは神の御名を崇めます。なぜならば、聖書の御言葉によって、私たちは、自分本位のアイデンティティーの存在に気が付くことができるからです。
 兄弟がともに座っている。それは、神の御前です。私たちが皆、神の御前に立つということが大切です。そして、この兄弟たちは、神の祭司に油が注がれ、聖なるものとされる儀式を見ています。兄弟の内のどちらかが聖別の油を注がれるとかいうような話ではありません。

2 かぐわしい油が頭に注がれ、ひげに滴り/衣の襟に垂れるアロンのひげに滴り

アロンは祭司職であるレビ族の基とも言える人です。民を代表する祭司が栄光を受けるのを私たちは喜び、それによって神をほめたたえるのです。それが礼拝の本当の意味ではないでしょうか?
私たちには大祭司が与えられています。それは私たちの主イエス・キリストです。主は、
十字架に架けられる直前に一人の女によって、非常に高価なナルドの香油を注がれます。人々は、「なんともったいないことをするのか。その油を売って貧しい人々に施せばよかったのに」と、女を非難しますが、主は、それをとどめて、「この女のしたことは、永遠に伝えられるべきだ」と諭されます。それは主イエス・キリストが天上の大祭司であり、私たちの罪の赦しを行う大祭司として、自らを犠牲にして、私たちの罪を贖って下さったことを示しています。ですから、この詩編は、香油を注がれたイエス様において本当に成就したのです。

3 ヘルモンにおく露のように/シオンの山々に滴り落ちる。シオンで、主は布告された/祝福と、とこしえの命を。

 ヘルモン山は以下のようなものです。
ヘルモン山(Mount Hermon, ヘブライ語: הר חרמון‎)シャイフ山(Jebel esh Sheikh, アラビア語: جبل الشيخ‎)は、レバノンとシリアの国境にあるアンチレバノン山脈の最高峰で、最高点の標高は2,814mである。
ヘルモン山には3つの主要なピークがあり、ほぼ同じ高さである。山域の面積は1,000km2に及び、うち約70km2がイスラエルの支配下にある。標高が高いため、乾燥地帯にあるにもかかわらず多量の降水がある。ジュラ紀の石灰岩は侵食されてカルスト地形を形成している。
冬から春にかけては降雪があり、3つのピークは一年の大部分は雪で覆われている。山の西側と南側からの雪解け水は山麓で湧き水となり、最終的にはヨルダン川となって一帯を潤している。また雪解け水によって雪線下にはマツやオーク、ポプラなどの豊富な植物が育ち、葡萄園もある。
この豊富な湧き水と山は、水を求める国家間の争いの対象となってきた。山と湧き水を支配する政府は森を守り、環境破壊を防ぐ重要な責任を認識することが重要である。
ヘルモン山は、「白髪の山」「雪の山」と呼ばれる。イスラエルでは、その山頂にレーダー基地があることから、「国家の眼」とも呼ばれる。(Wikipedia)

水のない乾燥地帯であるこのパレスチナの地域において、常に雪を頂いている高山です。そして、このヨルダンの一帯を潤すヨルダン川の源です。
 主イエス・キリストに聖別の油が注がれました。私たちの人生において最も大切な喜びの出来事は、このイエス・キリストになされた神の御業を賛美することです。その御業を仰ぎ見ることです。
その前に私たちは私たちの間の人間関係とは関係なく、そのわだかまりを越えて神の御名をともに賛美し、喜ぶのであり。この喜びが私たちのわだかまりを粉砕し、互いに許し合うことができるようになる場を作り出すのです。

シオンで、主は布告された/祝福と、とこしえの命を。
イエス・キリストの十字架と復活の出来事を通して、私たちに永遠の命が与えられていることがここに言われています。

自分が人と比べて何をしたかではなく、神が何をなさったのかということが私たちがこの世に生かされている意味を知ることです。
「空の鳥を見よ、野の花を見よ」ともイエス様は教えて下さいました。神が創造された世界の素晴らしさを知ること、見ることも素晴らしいことです。
その意味で旅行というのも意味あるものでありましょう。しかし、罪の中にある私たちは、この神の御業を見て、賛美することも、「私は、この間、どこどこへ行ってきた(あなたは行ったことないでしょう)」というようなことで人に誇ったり、人に言わなくても自分の心に誇ったり、あるいは、人がそのようなことを言うのを聞くと、心の中に劣等感が生じたりする現実があります。それに対抗するために、心の中に、私にはそれよりもいいところへ行ったことがあるという事実が必要であったりするのです。

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