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zoom RSS 詩編119篇105〜112節 聖書を学ぶ会 2017年7月19日

<<   作成日時 : 2017/07/20 18:53   >>

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105 あなたの御言葉は、わたしの道の光/わたしの歩みを照らす灯。
106 わたしは誓ったことを果たします。あなたの正しい裁きを守ります。
107 わたしは甚だしく卑しめられています。主よ、御言葉のとおり/命を得させてください。

「あなたの御言葉は、わたしの道の光/わたしの歩みを照らす灯。」と言われています。私たちは、神を信じることに何の困難も労苦も感じない時には、この言葉を、「本当にそのとおりです」と思って口にします。しかし、ひとたび、信仰に生きるがために困難に出会ったり、この世的な損失を被ったり、あるいは人から馬鹿にされたり、相手にされなくなったりすると、私たちは御言葉に頼ることをあっさりと放棄してしまいます。
そして「そんなこと、私にはできない」とか、「神様がいるなら、なんでこんなことが起こるのでしょうか?」という問いが私たちに湧いてきます。
しかし、この詩編の作者は、神の御言葉を信じ、それに従って生きるがために、「甚だしく卑しめられて」いるのです。「主よ、御言葉のとおり/命を得させてください」という言葉は、彼が神に従う信仰のために、非常な危機の中にあることを示しています。「私は誓ったことを果たします」という「誓ったこと」とは、神に対する忠誠、御言葉に聞き従い行うことです。「あなたの正しい裁きを守ります」とあるからです。
「あなたの御言葉は、わたしの道の光/わたしの歩みを照らす灯」という告白は、この世の暗闇の中に彼が生きていることを意味します。そして、また彼には様々な闇の誘惑があり、その闇の誘惑を拒絶するがために、困難の中にあります。
 エジプトに売られたヨセフは、エジプトの高官に買われて、奴隷として仕えます。その高官の妻に気にいられて、誘惑を受けますが、「神に背くことはできない」と、その誘惑を拒絶しました。妻は、それに腹を立てて、「ヨセフが自分を誘惑しようとした」と夫に嘘の報告をし、怒ったエジプトの高官である夫は、ヨセフを牢獄に入れます。まさにそのような状況がこの詩編の言葉のふさわしい背景です。この牢獄の中でもヨセフは、神によって恵みの内に生かされました。そして、王の給仕をする者と料理人が、王によって捕らえられヨセフと同じ牢獄に入られてきました。彼ら二人は、同時に夢を見ます。その夢解きをヨセフがしますと、その通りに、給仕人は、獄から出され、料理人は死刑となります。しかし、給仕人は、ヨセフのことを忘れてしまったのです。ヨセフはそれからまた、忘れられて獄に入れられたままとなります。「神様なんているのか?」とか「神様なんて信じても無駄ではないか」と思うでしょう。しかし、彼は、神を信じ続けたのです。月日が経って、エジプトの王がある夢を見ます。王はその夢が気になって仕方がないのですが、誰もその意味を知らせてくれる者がいません。そのとき、給仕人は、ヨセフのことを思い出します。牢獄からエジプト王の前に連れてこられたヨセフは、見事に、エジプト王の夢を解き、エジプトに到来する7年に豊作と、それに続く7年の飢饉にそなえる政策を提言します。ヨセフはエジプト王に次ぐ大臣に任命されます。ヨセフの夢解きのとおり、7年の豊作のあとに7年の飢饉が訪れますが、ヨセフの言葉にしたがって準備をしていたエジプトはこの危機を乗り越えます。そしてまたカナンの地も飢饉に襲われており、カナンの地にいたイスラエル部族はヨセフのおかげで、エジプトに移住し生き残ります。
 この創世記のヨセフ物語は、信仰に生きる人々の人生のモデルです。御言葉にいつも従い続けてゆくとき、そこには大きな困難が伴います。その困難を通して、私たちの信仰は、より磨かれ、信仰としての恵みの光を放ちます。困難を通して、私たちは打ち砕かれ、高慢から解放されます。高慢が打ち砕かれるのです。自分を何者かであると思っている高慢です。この自分を何者かであると思っている高慢を打ち砕くために神様は私たちに困難を与えて下さるのです。
 私たちは死にます。これは実に神様がいらっしゃるからです。私たちが神ではなく、人であることを決して人が忘れないために、神なしで人が生きることは不幸以外の何物でもないことを死は私たちに示しています。

108 わたしの口が進んでささげる祈りを/主よ、どうか受け入れ/あなたの裁きを教えてください。
109 わたしの魂は常にわたしの手に置かれています。それでも、あなたの律法を決して忘れません。
110 主に逆らう者がわたしに罠を仕掛けています。それでも、わたしはあなたの命令からそれません。
111 あなたの定めはとこしえにわたしの嗣業です。それはわたしの心の喜びです。
112 あなたの掟を行うことに心を傾け/わたしはとこしえに従って行きます。

 困難に直面して、「神様はどこにいるのか?」とか「神は本当にいるのか?」とか、「自分は情けない存在で、だれも相手にしてくれない」と思う時、「誰も相手にしてくれない人を教会は相手にしてくれるところではないか」と考える時、それは、それで素晴らしいことでしょう。それは正しい選択です。神様はすべての人を愛して、一人一人を大切に思っていらっしゃいます。それは真実です。ですから、神が一人一人すべての人を大切に思っていらっしゃる愛の中に私たちが生かされているのは真実です。それは、神の言葉に従うことによって私たちの心の中に真実となります。
 非常に多くの場合、私たちは神の御言葉を用いて人を裁いたりします。それは何を意味するでしょうか?それは神の言葉よりも自分が高い地位にあるということです。そのような人々は、「自分は情けない存在で、誰からも相手にされない」と言いながら、自分の気にいらないことが起きると、向き直って、教会のあり方を批判したりします。そのことによって何が確認されているのでしょうか?それは、その方ご自身がおっしゃって「自分は情けない存在で、誰からも相手にされない」という言葉が本当に真実であることを自ら証明しているのです。
 「傷ついた」ということをよく私は教会を批判する人々から聞きます。この言葉はおかしいと私は思うことが度々です。なぜならば、私たちは、基本的に、「ああ、あの人を傷つけて悪かったなぁ。神様赦してください」と思うことが大切だと信じているからです。自分が「傷ついた」などとは言わないからです。

 犯罪者を生み出すのは被害者意識です。犯罪者は例外なく、被害者意識を持っていて、「私はこんな目に遭ってきたのだから、仕方がないじゃないか」という気持ちで犯罪を犯します。犯罪者が悔い改める時、加害者意識が生まれます。加害者意識が、犯罪の悪を認め、加害者意識が犯罪を抑制します。
 罪を告白するということは、ですから、加害者意識を持つということです。
 私たちは多くの場合、この詩編に表現されているような、困難の中でも神に従っていこうという信仰を持ち合わせません。困難にぶつかると、神の御言葉から離れ、教会から離れてしまいます。あるいは、「自分は誰にも相手にされない」と思ったりします。それは、悔い改めの必要性を明らかにしている現象です。
 「自分がこんな風になったのはあの人のせいだ」という「あの人」を赦す必要があり、そのあの人に感謝を捧げるように悔い改める必要があることが、そこで明らかになっているのです。それは同時に、自分自身の罪を告白する時です。「誰にも相手にされない」状況を作り出したのは自分自身に他ならないのです。つまりそれはどういうことかというと、神の御言葉に従ったゆえに今の現状があるということではないということです。
 あるいは神の御言葉を振り回して、人々を断罪したという愚かさがげんいんであるということです。両者は大抵、共存しています。
 そしてまた、大いなる神は、このような「誰にも相手にされないなさけない」私たちにも御業を示し、永遠の救いへと導いて下さっています。ただイエス・キリストに栄光が限りなく豊かにありますように。

 そして、私は、今日の準備をしながら初めて、ある兄弟が、ご自身のお父さんのことを批判していたことが、どのようなことであったかを理解しました。
 彼はとある有名な高校へ入学して、そこで落ちこぼれます(落ちこぼれたと思ったというべきでしょうか)。そしてお父さんに相談しますが、お父さんは、「それではお前は、私が仕事で困ったときに相談にのってくれるのか?」と取り合ってくれなかったそうです。
 彼は学校の成績がよく、お父さんはそのことをとても喜んでいました。お父さんを喜ばせようと彼も頑張って勉強をして、有名校に入った。入ったときはお父さんもとっても喜んでくれた。なのに、今、自分が困難の中にある時、なんの優しい言葉もかけてくれない。おそらく、お父さんは、厳しく接した方がいいと思ったのでしょう。またお父さんの仕事での精神的ストレスはとても大きかったのであろうとも想像されます。私は、「お父さんも、大企業の競争の中で大変で、あなたがおっしゃる20〜30分の時間も話を聞く余裕がなかったのでしょう。」と彼に言いましたが、あとから、「そうですか、お父さんはあなたの話を聞く20分の時間がないとおっしゃったのですね。あなたは小学校から毎日、一生懸命に勉強して、お父さんの夢のために頑張ってきたのにね。でもそういうと、お父さんは、『私はお前が生まれる前から、汗水たらして働いてきたんだ。いやなことは山ほどあった』とおっしゃったかもしれませんね」というべきだったのかなぁと思った次第です。

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